「劇場的春、京都」アーカイブ

「劇場的春、京都」実行委員会が2015年度より行った、京都の劇場インタビューのアーカイブを行うページです。お問い合わせは kyoto.e.season@gmail.com までお願い致します。

WEB連載 第3回「アンダースロー(前半)」

京都演劇の系譜をたどる劇場インタビューシリーズ

〜WEB連載 第3回「アンダースロー」〜

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話し手:田嶋結菜(地点)
聞き手:山口茜(サファリ・P)、南里初陽(演劇集団Q)坂本彩純(演劇集団Q)
立会い:和田ながら、竹内良亮(「劇場的春、京都」実行委員)

2013年7月にオープンしたアンダースローは、劇団「地点」の稽古場兼アトリエ。毎月、チェーホフの四大戯曲をはじめとしたレパートリー作品の上演が行われ、終演後にはドリンクを片手にホワイエで語らう観客の姿があります。2005年に東京から京都に拠点を移した地点が、アトリエを持つに至るまで、そしてアンダースローのこれからについて、地点の制作・田嶋結菜さんに聞きました。
(インタビュー実施日:2016年3月31日)

 

アトリエを持ちたいという思いは、京都に移る前から

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山口:まずは田嶋さん自身がどのような経緯で京都に来て、地点がこの劇場を持つまでになったか、ということをお聞きしたいです。

田嶋: 24歳のとき、京都に来ました。5年がんばって、もし泣く泣く東京に帰ることになったとしても、まだ20代。だったら、失敗してもいいか、って思っていました。

山口: 三浦さんって、24歳の田嶋さんに劇団の制作を任せたんですね、当時。

田嶋: 京都に来る前に所属していた青年団(※1)は、もちろん制作者はいますけど、実質的な経営は平田オリザさんが担っていました。予算を立てて調整しつつ実行して決算を出すといった一連のこと、全体ではいくらの予算があるからそこにおさめなきゃいけない、というコントロールを、私自身は京都に来るまでやったことがありませんでした。京都に来てから、あ、私が予算を作るんだな、と。最初は結構大変で、やりながら覚えていきました。京都に来る直前にセゾン文化財(※2)の助成金の申請書を地点として書いたのが、最初に自分で書いた書類でしたね。

山口: その助成金が採択されたんですね。

田嶋: あの助成金がなかったらずいぶん大変だっただろうと思います。でも、三浦さんは自信満々な人なので、その影響もあったのか、私も取れると思っていた。そういう若さの勢いもあって、京都行きを決めました。たぶん、私よりも上の世代の俳優の人たちの方が、拠点を移す決断の重みがあっただろうなと。

山口: 田嶋さんのご実家はどちらなんですか?

田嶋: 神奈川県の相模原市です。典型的なベッドタウンですね。京都とはなにも縁もゆかりもなくて。

山口: すごいですね。それでパッと移ってくるのは。

田嶋: ただ、修学旅行で来たことがあったり、当時は妹が京都の大学に通うために一人暮らしをしていたので、決められた、っていう感じですね。

山口: 東京から京都に移って、9年目でアンダースローを持ったんですね。

田嶋: 実は、2004年のセゾン文化財団への助成申請の時点で、京都にアトリエを作るっていうことはすでに書いていたんです。それは、青年団アトリエ春風舎(※3)という場所を持っていた、その経験が大きかった。春風舎は、もともとアトリエMODEっていう、松本修さんの劇団のアトリエを青年団が引き継いだもので、改装後のこけら落としチェーホフ(※4)の『三人姉妹』。地点の初期の代表作です。初演は春風舎公演より前のソウルフリンジフェスティバルだったんですが、韓国に行く前の通し稽古を見た時に、「あ、この作品の制作をしたいな」って思って。

山口: そこから地点の制作を始めたんですね。

田嶋: 制作者になろうっていうモチベーションは人それぞれだと思いますが、演劇をもっと多くの人に見てもらいたい、っていう、すごいベタな動機ってありますよね。私もその思いが強くて。友達に見せたいと思える作品の制作をしたいっていう気持ちがあったので、『三人姉妹』の東京公演は自分でやりたいなって。 本当にたまたまなんですけど、当時の三浦さんの家と私の実家が、徒歩圏内だったんです。三浦さんはその頃から京都芸術センターで仕事をしていて、京都にもよく行っていた。それで、三浦さんが京都に車で行く時に乗せてもらったり。まさに便乗ですね。その京都に向かう高速道路の道すがら、劇場にはなにが必要かみたいな話をしたのを、すごく覚えてる。便乗しておきながら、私は大学出たてのころで緊張してガチガチだったんだけど、劇場にはカフェや本屋がなくちゃいけないっていう話を三浦さんがしていて。

山口: そうすると、京都に来る前から、劇場に要るものがなにか、三浦さんにはわかっていたんですね。

田嶋: これは想像ですけど、文化庁芸術家在外研修(※5)で留学したフランスでの経験が大きかったんじゃないかと思います。フランスではこうなんだよ、みたいな話はそんなにしないタイプだけれど。もともと私自身、劇場で働きたいって思っていたんです。だから、青年団でもこまばアゴラ劇場(※6)の担当になりたかった。でも、青年団は国際交流企画をすごく熱心にやっている劇団で、いきなりフランス人が大勢来る企画の担当になって…。フランス人がこんなにいい加減な人種だということを知って衝撃を受けましたね(笑)。

山口: 若い時にカルチャーショックを受けたと。大変だけど、いきなり実践して行かないとなかなか身につかないものなのかもしれないですね。

田嶋: この仕事でこんなに英語を使うと思っていませんでした。

山口: 今も英語が重要ですか?

田嶋: まさに今、韓国とドイツのフェスティバルの人とやりとりしてるんですけど、両方英語です。メールのやりとりぐらいはできて本当によかったって思います。あとは、コレット・ウシャールさんっていうフランス生まれの衣装家の方と作品づくりをしている時は、もっぱら英語でコミュニケーションをとっています。 


※1 青年団
1982年、劇作家・演出家の平田オリザにより結成された劇団。平田自身が支配人を務める「こまばアゴラ劇場」を拠点に、国内外で活動。2013年度より若手演劇人の育成機関「こまばアゴラ演劇学校・無隣館」を運営。http://www.seinendan.org

※2 セゾン文化財
堤清二(1927-2013)の私財によって設立された助成型財団。1987年より日本の現代演劇・舞踊の振興、およびその国際交流の促進への寄与を目的に、助成活動を行う。地点は「芸術創造、芸術団体の活動支援」プログラムで2005年度から3年間の助成を受けた。(現在は「芸術創造、芸術団体の活動支援」プログラムは実施されておらず、芸術家への直接支援「セゾン・フェロー」などの助成プログラムが実施されている。)
http://www.saison.or.jp/

※3 アトリエ春風舎
青年団のアトリエ。試演会やアトリエ公演が実施できる設備を有し、青年団内のユニット(青年団リンク、若手自主企画)や本公演の稽古場、発表の場として機能。近年では、青年団以外の劇団などの公演も行っている。

※4 チェーホフ
アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(1860-1904)。ロシアを代表する劇作家、小説家。多くの作品を残したが、特に『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』はチェーホフの四大戯曲と呼ばれる。  

※5 芸術家在外研修
文化庁の人材育成事業で、芸術の各分野で活動する芸術家が、海外の大学や芸術団体などで実践的な研修に従事する機会を提供。地点の代表・三浦基は1999年より2年間、パリにて研修。現在は「新進芸術家海外研修制度」に改称。

※6 こまばアゴラ劇場
劇場芸術総監督・平田オリザ青年団の公演のほか、「こまばアゴラ劇場提携プログラム」として若手劇団への幅広い支援を行う。2003年より、日本の劇場では初めての本格的な劇場支援会員制度を実施、2015年からは国内4つの劇場が同制度の連携劇場となった。http://www.komaba-agora.com/

 

地点は常に合議制。カフェのメニューの順番も、ミーティング!

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山口: アンダースローに外国人の観客は来ますか?

田嶋 そうですね。

山口 観光客?

田嶋 いや、観光客ではないですね。チェーホフの作品をレパートリー(※7)にしているので、ロシアからの留学生が時々来てくれたり。2011年以降、地点は毎年ロシア公演に行ってるんですけど、ロシアで地点の作品を観たっていう人が京都に留学して、アンダースローに観に来てくれた。あとは知り合いから紹介されてきた人、外の看板を見てカフェだと思って入ってくる人、たまたま終演後に来て一杯飲んで帰る人もいらっしゃいましたね。

山口 アンダースローにはカフェもありますが、カフェのみが営業することはあるんですか?

田嶋 ないです。公演の時だけですね。

山口 ちなみに、カフェの収入ってどのくらいなんでしょう?

田嶋 収入がトントンになるぐらいの原価計算をしています。一番安いメニューが200円なんですよ。学生も終演後にちょっと背伸びしてここに残るような経験ができたほうがいいよって、200円のメニューを作ったんですけど、それが一番安くて、一番高いのは500円ぐらいかな。

山口 わあ、めっちゃ安い!

田嶋 原価率が5割で、カフェ営業のアルバイト代を払ったらあとは残りません。

山口 カフェはカフェで独立して採算が完結しているんですね。

田嶋 アンダースローを作る時、どういう場所にするかは劇団のなかで議論がありました。自分たちのやることを拡大していくとどんどん重たくなっていくから、稽古場として作るだけじゃだめなのかっていう話もあって。アトリエの機能だけに特化するならシンプルだけれど、劇場にするなら、手を入れてきれいにしないといけない、ホワイエ(ロビー)もカフェも喫煙所も必要、トイレも絶対2個必要…。人を呼ぶか呼ばないか、たったそれだけで、あれもこれも用意しなきゃっていうことになります。それを劇団で話し合って、やっぱり自分たちがいいなって思う劇場のかたちを実現しようよ、せっかくだし、という結論で、こういう作りになりました。

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山口 おそらく、稽古場みたいな感じの劇場は、日本には実はいっぱいあるんですよね。つまり、お客さんを迎えるとなった時に必要になるものを、必要と感じない人もいる。

田嶋 地点の作品は万人受けしない、観る人を選んでるんじゃないか。かつてはそういうことを言われることが少なからずあったんですけど、最近はだいぶ減ってきた気がします。それは、アンダースローができて、地点の姿勢がかたちになってあらわれたので、受け入れられやすくなったのかもしれないですね。

山口 作品を見せるためのホスピタリティですね。

田嶋 地点は今まで、誰が見ても楽しい作品を作ろうと思って作ったことは一回もないんですけど、アンダースローに来た人が、ちょっと楽しいなって思ってくれる場所にしよう、っていうことはけっこう考えて。それができるっていうことが、自分たちも楽しかったりしましたね。

山口 それって、チームの中のほとんどの人が思っていないとできないことですよね。集団の意思決定ってかなり難しいと思います。

田嶋 地点は合議制なんですよ、全部。よく覚えてるんですけど、舞台上をこのぼこぼこの板の床にするっていうのも、決めるのに6時間かかったんです。もうやりすぎ!ってぐらい、アンダースロー作ってる時には毎日毎日ミーティングしてて。カフェのメニューの並び順もミーティングで決めました。どのメニューを一番上に書くか。(笑)

山口 それぐらい誰かに任せたいって気がするんだけど、そうじゃないんですね。ちなみに、この床は反対意見があったんですか?

田嶋 私が最後まで反対しました。最後の最後まで。結果はこれでよかったなって思いますけどね。私は現実的なコスト面と、俳優が立つ舞台はプレーンでいいんじゃないか、だから普通の板張りがいいだろうって話をしたりしました。三浦の思う理想の舞台は檜舞台なのか、足場板にするか、とか。舞台の床って本来はどうあるべきかっていう話になって、6時間。

山口 その体力とこだわりがあるから作れるんですね。

田嶋 でも、私は今でもミーティングはそんなに得意じゃないですよ。最初は制作という立場上、自分がひとりでしゃべらなきゃいけないことが多くて。みんなは聞いてるだけで、「えっと、どうですか?」みたいなことを自分から言うのって、嫌じゃないですか。(笑)

山口 意見のない人がさっと顔をうつむかせたりとかしてね。

田嶋 そうそうそうそう。(笑)メンバーの大半は俳優の集団だから、会議のはじめは、受け身っていうか、聞いているだけのことが多いようにも思います。

山口 あ、始めはそうだったんだ。

田嶋 そうなんです。そこをこう、じとーって目線をやったりとか、三浦さんが焚きつけたり、ほじくったりすると、それぞれが出てきて。多数決じゃなくて、みんなが納得するまで話し合う。稽古スケジュールも、みんなで手帳を出して、何日は何時からで、って。本番から逆算してこの稽古数で行けるのか、ひょっとしたら劇団ミーティングはこのあたりでやらないといけないんじゃないかとか。 

※7 レパートリー
いつでも上演することが可能な一定数の演目を持ち、またそれを交互に/繰り返し上演すること。

 

後半につづく>>