WEB連載 第4回「アトリエ劇研(中編)」
京都演劇の系譜をたどる劇場インタビューシリーズ
〜WEB連載 第4回「アトリエ劇研(中編)」〜
二つの視点
金田一:杉山さんもいらっしゃったので、杉山さんにも聞けることを。
さっき、登竜門という話があったので、歴史的なことを聞いてみたいと思います。その前に、杉山さんの立場って劇研とはどういう関わりから始まるんですか?
杉山:いまは劇研を運営しているNPOの役員、理事で事務局長をしています。劇研はそのNPOのなかの一つの事業です。元々、法人、NPO劇研っていうんですけど、法人も2003年に作ったんですけど、当時は法人の事業=劇研の活動だった。この劇場がすべてだった。そこから(いまは)色んな事業をしているので、増えていってます。私自身は、2000年から2008年までここのプロデューサーとして劇場に勤務していました。
金田一:そのあと、田辺さんになってということですね。
杉山:そうですね。
金田一:劇研ならではとか、例えば登竜門的な話が出たので聞きたいのですけど、劇研から出て来て、輝いているんじゃないのっていう劇団って、いっぱいいるものなんですか?
杉山:まぁいっぱいいると思います。劇団とか芸術の評価はすごく難しいと思いますけど、ここは大事なところだと思うのですが、二つ大きな視点があって、演劇のなかでどうかという視点が一つ。例えば、演劇のなかで新しい表現とか、より今の時代の質感にあった表現とか、演劇のなかで何かをしてきたという文脈があって、いわゆる芸術とか文化ってくくられるものの評価とか、批評とかいうのは、だいたいそこの中でやっていることが多いんですよ。芸術のなかでの評価がどうかっていうことね。
もう一つは、今すごくホットなのが、社会の中で芸術はどう働くべきかという視点だと思うんです。
もう多くの芸術家はそういう視点で活動を始めている。例えば、日本では、震災があったりしたんで、それで多くの人が考えたんじゃないかな。 今、NPOでやってることのなかで一番力を入れてるのがそういうことなんですね。社会の中で、芸術がどうかという視点。この視点から作品を観るというのも新しい切り口として今後出てくるんじゃないかなという気がする。それはいろいろ考え方があるけど、あの有名な鈴木忠志さん(※7)が利賀村になぜ行ったかという話のなかでそういうこともしていて、彼は利賀村に行くってことが芸術を通じた社会運動だって言ってて、そういうことと近いかもしれない。社会や地域に対してどういう影響を与えるかという視点。 それで、アトリエ劇研という場所は、あごうが話したと思うんですけど、小さなブラックボックスという特性があって、それはある意味、宿命的に育成の場になるようなところなんですよね。どうしてかというと、お客さんがたくさん入って来たら、採算合わないからやりづらくなるっていう、ただそれだけのシンプルな理由なんです。
金田一:はい。
杉山:で、それは逆に言うと、例えば、低コスト低リスクで実験ができるとか、演劇を始める人とか経験の浅い人たちにとって、いきなり何百とかいう集客が難しいわけだから、入り口としてはとてもいい。 だから結果的にその中から人が出ていくってことは、物理的に宿命的にそういうものだと。
そこに今どうして芸術家をディレクターにつけているかというと、その中でその芸術性という視点、つまりどういう風に作品を観ていくか、評価していくか、芸術的視点はとても大事だと思っているから。だから芸術的視点を重視したディレクターというポジションと、わたしのようにプロデューサーよりの社会的視点とのバランスを取りながら運営する。 一つの切り口だけでアーティストを評価すると、例えば、こんな作品は古くさいよとか、こんな作品は子ども向けじゃんみたいなことで、いわゆる芸術的指標からはこぼれがちなものとか、そういうのを別の視点からみると、また違う光をあてられるかもしれない。
そういった有機的なというか、置いとけば物理的にどうにかなるってことだけじゃない、そこに人の手が加わることで、有機的にいろんな形で作品が出て行くというような場になればいいなと思っています。
WEB連載 第4回「アトリエ劇研(後編)」
京都演劇の系譜をたどる劇場インタビューシリーズ
〜WEB連載 第4回「アトリエ劇研(後編)」〜
いままでと、これから
金田一:すごく未来の見えるお話が聞けたんじゃないかと思うんですが。過去のことについてはあまり聞かなくてもいいかなと。
岡本:そういえば、30年史が。
杉山:もうすぐでます(※23)。出る出るといってもう2年になろうとしていますが。
金田一:ちょうど去年が30年だったんですね。
杉山:そうです、2014年が30年。1984年からなので。
岡本:僕は生まれてないですね。
杉山:めっちゃ短く言うとなると、30年を振り返って編集をしたんですけれど、やっぱり劇場は人だと改めて思ったということがあります。スタッフもお客さんも含めていろんな人がそれぞれ有機的に関わっている、関わらせられたんじゃなくて、関わりたくて関わったんだという、それが作ってきたものが、生み出したものが大きい。だからこそ、生き生きとした劇場になったんじゃないかと。
岡本:人が、能動的に。
杉山:そうなんですよね。で、過去を振り返るとあの時こういう作品をやってたのかという具体的な事が分かると思うけれど、やっぱりそこでその時代なりに色々考えて人が関わったというのが歴史であって、そこがすごく場の価値を高めたんじゃないかと思う。そういうことは例えばこういう物理的な場所がなくなるということで全部忘れ去られちゃうので、30年史を作ろうとしたことの大きな動機は、忘れられないようにしておくということ。それがおそらくどこの、他の地域の劇場であっても、生き生きとした劇場はそういう歴史があると思うんだけど、共通する物じゃないかなと思う。
金田一:ちょっと長くなっちゃうかもですけど、遠藤さん(※24)がいた頃とそこから後は変わったことがあったりするんですか?
杉山:変わったと思いますよ。それはやる人によってその趣向によって全然違うから。遠藤さんは豪腕だったから、ぐいぐいとやってきたんだけれど、遠藤さんが劇場という場所を使ってやりたかったことの機能の一部は芸術センターにいったと思うんですよ。例えば専門的な育成とか、コラボだとか、作品を作るとかいうのは、小規模な民間劇場では難しいところがあった。東京からアーティストを呼んで来てコラボするとか、アーティストインレジデンスをやるとか、それらの機能は芸術センターができて芸術センター(※25)に流れたと思うんですね。で、一部はまたアートコンプレックス(※26)とかにもに流れたと思う、商業的な感じのものもやっていたし。
で、機能が分かれたことでより純粋化するというか、じゃあ劇研はどういうことを担おうかと。それがアトリエ劇研になってからの課題だったから、その中でその社会との関わりとか人材育成とかに発展していった。
金田一:これはいいこと聞けましたね。これはちょっと面白いですよね。
杉山:また使う人がいなくなったら、次の時代は誰かに特化した劇場になるかも知れないしね。それは時代に拠る。
岡本:常に時代と共生してる感じがある。
杉山:そう、時代とか環境とかね。2000年を境に本当に京都の芸術環境は実は豊かになったんですよ。芸術センターができて、アートコンプレックスができて。
金田一:2000年に大学に入学してきて、すげえじゃんここと思ってたんですよ。
杉山:ああ、そういう世代。そういうことなんですよね。そういう風に、そこから後の世代は当たり前と思っているかもしれない。ここから後は縮小に向かっていくから、その時にどういう選択をしていくかということになると。
あごう:ひとまずロームができてある種の完成形ができましたね。
杉山:ピークになると思う。
あごう:ひと揃えありますからね。
杉山:芸術センターで出来た流れが今度はロームシアターに引き継がれるから。
金田一:うんうん。
岡本:すごい。
杉山:これは環境としては少子化で若年層の観客が減るとか、観客の多くがシニアになっちゃうとか、そういうことが起きてくるとやっぱりシニア向けの演目とかが増えるだろうし、若い人に活力を与えるような活動というのはどうしたらよいだろうとなると思うよね。そういうときにより魅力的にして他都市から才能を呼び込むことができるかとか、東京への流出を食い止めるとか。京都としての環境を守るなりの活動をしていくようになるんじゃないかなあと予想しています。
金田一:なんか、ちょっとしたイメージだとロームができたら全体的に薄まっちゃうみたいな、客が全部あっちに流れちゃうとか。
杉山:ある意味あると思うけれど、実は総観客数が増えればお互いにメリットがあるはずなんですよ。
金田一:そうですね。
杉山:協力していくっていうのが大事。みんな困っていることとか課題とかって一緒だから。予算どうする採算どうする。動員どうする。いい作品作るにはどうする。お金をさらに集めてくる方法は何か。たぶん全部おんなじ課題だから。
金田一・岡本:面白かったです。ありがとうございました。
特定非営利活動法人劇研(著)。現在販売中。
※24... 遠藤寿美子(1937~2003)。1984年にアートスペース無門館(現在のアトリエ劇研)
を設立。演劇プロデューサー。
※25... 京都芸術センター。旧明倫小学校校舎を使用して2000年に開設。
演劇の作品制作や公演も行われている。
※26... アートコンプレックス1928。旧大阪毎日新聞社京都支局ビル で、1999年に劇場として
オープン。客席数は最大200席余。2012年より2016年現在に至るまで「ギア‐GEAR‐」
専用劇場としてロングラン公演中。
WEB連載 第3回「アンダースロー(前半)」
京都演劇の系譜をたどる劇場インタビューシリーズ
〜WEB連載 第3回「アンダースロー」〜
話し手:田嶋結菜(地点)
聞き手:山口茜(サファリ・P)、南里初陽(演劇集団Q)坂本彩純(演劇集団Q)
立会い:和田ながら、竹内良亮(「劇場的春、京都」実行委員)
2013年7月にオープンしたアンダースローは、劇団「地点」の稽古場兼アトリエ。毎月、チェーホフの四大戯曲をはじめとしたレパートリー作品の上演が行われ、終演後にはドリンクを片手にホワイエで語らう観客の姿があります。2005年に東京から京都に拠点を移した地点が、アトリエを持つに至るまで、そしてアンダースローのこれからについて、地点の制作・田嶋結菜さんに聞きました。
(インタビュー実施日:2016年3月31日)